人様から、「趣味は?」と尋ねられると、「 山歩き…、料理…ですかね~。」などと答える。
しかし、心の中では「 想夫恋の焼きそばです 」と言っている。
口にすることが、恥ずかしいからではない。
言ったとしても、相手は何のことか解らないからである。
ウィキペディアフリー百科事典では、『 趣味 』について次のとおり記載されている。
- 趣味(しゅみ)は、以下の二つの意味を持つ。
1.人間が自由時間(生理的必要時間と労働時間を除いた時間、余暇)に、好んで習慣的に繰り返しおこなう行為、事柄やその対象のこと。道楽ないしホビー(英: hobby)。
2.物の持つ味わい・おもむき(情趣)を指し、それを観賞しうる能力(美しいものや面白いものについての好みや嗜好)のこと(英: taste)。
調度品など品物を選定する場合の美意識や審美眼などに対して「趣味がよい/わるい」などと評価する時の趣味はこちらの意味である。-
では、英語のhobbyは、
< ジーニアス英和大辞典 >
1. 趣味:道楽・スポーツ・ガーデニング・切手収集・写真・絵画など創造的で、ある程度の技術や知識を要する非職業的活動をいう;魚釣り・散歩など気晴らしとしての行動は<pastime>。
これを見て判るように、日本人の言う「 趣味 」と英米の「 hobby 」はニュアンスが異なる。
例えば、日本人が趣味を映画鑑賞という時、それは映画が好きで、映画館に足を運ぶか、DVDかはともかく、よく映画を観るといったところである。
そこには気楽さがある。
しかし英米では、それを気晴らし< pastime >と言うのである。
もし、趣味が映画鑑賞と言うなら、映画に関して一定の知識を有し、何らかの目的をもって映画を観るということなのだそうだ。考察・研究という要素が重要なのである。
さて、私は長い間想夫恋の焼きそばを食べてきた。
ある時期までは、大好きでただ食べるだけであった。それで満足を感じ、『 気晴らし 』とも言えた。
しかし、いつの頃からか、想夫恋に関連する様々なことを調べ、考えるようになった。『 通 』になりたいとか、オタクになろうという訳ではなく。
もっと知りたいと思ったからである。
世の中に想夫恋のファンは沢山いらっしゃる。私の想夫恋に関する知識など貧しいものであるが、少なくとも、気晴らしでなくなったことは確かである。私の中では、『 趣味 』と呼べる対象となったのである。
さて、想夫恋発祥の地、日田。天領として栄えたこの地は九州の政治・経済の中心地であった。
アクロス福岡文化史「街道と宿場町」には、
- 幕府の九州統治の拠点・日田。そこに集まる道は太宰府参詣道、英彦山道につながる。天領への往還と信仰の道という二つの顔を持つ人と物資の集積路・日田街道を辿る。- と記載されている。
同書に掲載されている黄色い線が日田街道。まさに、九州内の街道の中心に日田があるのがよく判る。
ところで、日田の地域おこしを標榜する「 日田やきそば研究会 」に賛同者がいる。
彼らは、「 日田やきそば 」の喧伝が日田の地域おこしに資すると思っているのだろう。
しかし、B-1北九州のような一過性のお祭り騒ぎの状況を見ると、日田の地域おこしに何か役に立ったのであろうか。あのようなことは、単なる「 気晴らし 」「 自己満足 」でしかない。
そこには、何の努力も研究も見いだせないからである。
彼らが本当に「 地域おこし 」を願うなら、「 趣味 」と同様に、日田が有する素晴らしい歴史や観光資源などを一つ一つ丹念に見直し、それを基礎として何が日田の「 宝 」なのかを見極める努力が必要である。
そして、粗悪品の「 日田やきそば 」が日田の『 宝 』などと吹聴され憤る、良識ある日田市民の方々の声に真剣に耳を傾けなければならない。
私は、出された『 想夫恋焼 』に真摯に向き合う。
それが、気持ちを込めて焼いてくれた作り手に対する礼儀だから。
そしてこれからも、想夫恋を趣味と言い、ファンを自称することに恥じない努力を続けていくつもりである。