かつて、洗濯板はどの家庭にもあった。
洗濯機の普及とともに、洗濯道具の主役の座を失った道具だ。
とは言っても、子どもの頃は、まだまだそれなりの存在感を持っていた。
ちなみに、「洗濯板」は痩せた人を隠喩する言葉でもあった。
かつて、
“ 洗濯板に干しぶどう " と言って人をからかい、とんでもなく嫌われた覚えがある。
子どもだったとは言え、何とも心ない、酷いことを言ったもんだ。
※ ※ ※
先だって、そんな洗濯板を買った。初めてのことだ。
卓球道具のシェイクハンドラケットほどの超ミニサイズ。
台所で使うフキンを洗うためだ。
フキンで皿やグラスを拭く。
そして、何度か洗剤で手洗いする。
黄ばんでくると、新しいものに取り替える。そんな生活を続けていた。
そんなことじゃいけない …
丹念に洗い、漂白して使うべきでしょ …
洗濯板があれば、しっかり手洗いできて、汚れも落ち易くなる … と。
サクラ天然木の日本製。
昭和の風情が漂う。
放漫でテキトーだった生活を自省しつつ、フキンを洗う。
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