かつて、福岡市の西新にも想夫恋があった。
『 想夫恋 55年のあゆみ 』には、” 昭和53年西新出店 ” の記述がある。
正確な場所は覚えていないが、修猷館の近くだったと思う。
初めて看板を見た時、
・ 大きなブリキ板
・ 赤
・ 個性的な毛筆体
強烈な印象が脳裏に焼き付いている。
赤い板に白い文字だったのか、逆に白い板に赤い文字だったのかは定かではない。
今の想夫恋は、赤地に白の文字が多いが、昭和38年から平成2年頃まで本店だった現三本松店の新築当時の写真では、白地に赤の文字のようにも見える。
西新店の看板の書体は、昭和38年の本店新築移転時の書体のような感じだったような気がするが …
ちなみに、この西新店、昭和47年の第1号店大山店、第2号店久留米東町店、甘木店、あけぼの店に続く開店で、福岡市及び福岡都市圏では初めての出店だ。
しかし、その個性的な看板に恐れをなし、その焼きそばを食べることはなかった。
その西新店がいつまで営業していたかは知らない。
以前、大野城店は西新店が移転した店だと聞いた覚えがあるが、真偽のほどは分からない。
『 想夫恋 55年のあゆみ 』では、閉店した店は削除されているのが多いように思うが、西新店のことが記されているのは、何か特別な思いがあるのかもしれない。
※ ※ ※
そんな西新店のことなどすっかり忘れてしまっていた頃のこと。
太宰府市五条の君畑交差点そば、 今は日本経済大学(旧「第一経済大学」)の敷地内となっている場所に、本屋やファミリーレストランなどが集まった「パルイン」とか言った商業ゾーンがあって、その一角に想夫恋の店がオープンした。
名前は「想夫恋 太宰府店」だったと思う。
その太宰府店が、想夫恋との真の出会いの店だ。
それから、太宰府店が想夫恋の看板を下ろすまでの10年間通い続けた。
その後、博多区で暮らすことになったことを機に、福岡都市圏の想夫恋店を中心に、色々な想夫恋店に足を運ぶようになった。
先日、桧原店の駐車場のフェンスに掛けられている看板を見て、西新店の看板を見た日のことが呼び覚まされた。
あれから40有余年 … 露往霜来か …
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