『 焼きそば 』に関する本は、殊の外、少ない。
百花繚乱の様相を見せるラーメン本の数百分の一もないだろう。
そして、そのほとんどは各地の人気店の紹介やレシピの類いで、焼きそばの歴史をテーマにしたものはなかった。
『 全国縦断 名物焼そばの本 』も全国各地の人気店の焼きそばを紹介した本だ。
ただただ想夫恋が好き。
他の焼きそばに興味はないが、想夫恋の焼きそばが紹介されていたので買ったムックだ。
各地の焼きそばの紹介のほかに、中華麺やソースの製法の記述もあり、想夫恋焼を考えるうえで思いのほか参考になる。
その『 全国縦断 名物焼そばの本 』の巻頭に次のとおり記載されている
ー ソース焼きそばは、お好み焼同様に、第二次世界大戦後の食糧難のときに、小麦粉をいかにおいしく食べるかを工夫する中で各地に広まった。 ー
昭和一桁生まれの父母の話や自らの経験から、まぁそんなものなんだろうと考えていた。
しかし、『 料理の鉄人 (フジテレビ) 』の 審査委員として人気を博していた料理研究家の故岸朝子氏が、何かの本の中で、子どもの頃に浅草で食べた焼きそばを「 … 焼きそばごときものは …」と述べていいたことを思い出した。
「 焼きそばごとき … 」
料理研究家ともあろう人間が … 何とも、不適切な表現だな …
やはり、これまた「習慣価格」か …
それはともかく、岸朝子氏は1923年(大正12年)の生まれ。
子どもの頃に焼きそばを食べていたというならば、第二次大戦前ではないか …
焼きそばの発祥は、いったいいつ頃? 何処で?
スッキリとしない日々が続いていたのだった。
そんな中、2019年12月、『 焼きそばの歴史《上》: ソース焼きそば編 Kindle版 』が発売された。
そのまえがきには、
この本の目指すところは、日本の焼きそばの歴史を解きほぐすことである。
前半を「 ソース焼きそば編」、後半を「炒麺編」と位置づけ、それぞれの歴史の解明を試みたい。 (中略)
ソース焼きそばがいつ頃、どこで、どのように生まれたのか。中華料理の炒麺とは、どのような関係にあるのか。
著者の塩崎省吾氏は、数年にわたるフィールドワークの食べ歩きに加え、収集した文献を丹念に論考している。
内容をザックリ言うと、
・ 2011年ごろまで、ソース焼きそばは戦後に発祥したという説が主流だった。
・ 2012年に、 昭和10年代発祥説が出てきた。
・ 最古のソース焼きそば証言は、大正6年・浅草千束町生まれの女性の子供時代で、大正
末期から昭和初期ごろ。
・ 決定的な証拠はないが、大正7年の時点でソース焼きそばが存在した可能性は高い。
・ 戦前のソース焼きそばの証言は、昭和昭和10年前後の数年間に集中している。
・ しかし戦時下体制が進むにつれて、ソース焼きそばの屋台は姿を消してしまった。
そして、
戦前のソース焼きそばの資料は、東京以外では見つかっていない。
東京の証言も、ほぼ下町に限られている。つまり東京の下町住人を除いた、ほぼ全ての日本国民がソース焼きそばを知ったのは戦後になってからだ。「ソース焼きそばは戦後に生まれた」という俗説はそこに由来している。 特にヤミ市と関連付けて語られることが多い。
と記述している。
であるならば、確かに焼きそばの発祥の時期は、戦後から、大きく大正まで遡ることになるのだろうが、それは東京下町のこと。
戦前の東京下町の焼きそばと、戦後、そこかしこに生まれた焼きそばは、譜系が大きく異なると思える。今に繋がる焼きそばの誕生を戦後というのも、ある意味正しいのでは…
それにしても、塩崎省吾氏の探求の姿勢は素晴らしい。
そして、想夫恋焼を考案した角 安親氏は、どのようにしてその着想を得られたのだろうか …
大好きな福岡市「 福新楼 」の皿うどん、ちゃんぽんの発祥と言われる長崎市「 四海楼 」の太麺皿うどんと想夫恋焼の共通性 …
また、想夫恋焼を想夫恋焼たらしめるソース作りの技術をどのように習得されたのだろうか …
などなど考えていたら、無性に想夫恋焼が食べたくなった。
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ヤマ (木曜日, 17 2月 2022 07:17)
2月から原材料の高騰とかで直営店の普通盛が1050円になったと、よく行く店舗の店主が教えてくれました。時勢とはいえ、高すぎます。社長さんは、齢80を超えてるようで、私たち平民とは、価格に対する考え方が違うようですね。
マイケル・K・橘 (木曜日, 17 2月 2022 08:29)
お知らせいただき、有り難うございます。そうですが、並1,050円ですか … 小麦などの原材料の高騰、本部工場から各店への配送にかかる軽油の高騰などでしょうか。そうだとすると、フランチャイズ店への原材料の卸値も引き上げられているのでしょう。また、フランチャイズはキツイ思いをしますね。関東、近畿といった遠方への店舗展開も経営を圧迫しているのかもしれません。物価の高騰とコロナ禍による消費のシュリンク。経営戦略の抜本的見直しが焦眉の急ですね。