燈燈無盡(とうとうむじん) / ふと想起される言葉 vol. 99

 

 

 

東洋思想研究の大家であり、戦前戦後を通じ、一貫した姿勢で日本人の正しい精神のあり方を説き続けた故・安岡正篤(やすおかまさひろ)師。

 

日本が誇る偉大な哲学者、思想家である。

 

数々の伝説を残し、政界・財界・皇室までもが安岡師を頼りにしていたという。

 

『 安岡正篤 一日一言 』は、安岡師の膨大な著作の中から金言警句を厳選・抜粋し日々の指針とすることを目的に編まれたものである。 

 

その言葉の中に、以下のものがある。

 

 

一つの灯火を掲げて一隅を照らす。

 

そうした誠心誠意の歩みを続けると、

いつか必ず共鳴する人が現れてくる。

 

一灯は二灯となり三灯となり、いつしか万灯となって、

国をほのかに照らすようになる。

 

ー 燈燈無尽 「地方の時代」をきりひらく ー

 

1975年から1995年までの5期20年間にわたり、神奈川県知事を務めた長洲 一二(ながすかずじ)氏。

 

この長洲氏の所信表明や談話などを集めたのが『 燈燈無盡 「地方の時代」をきりひらく 』だ。

 

「 燈燈無尽 」という言葉の出典は、初期大乗仏典の一つ『 維摩経(ゆいまきょう)』の「無尽燈(むじんとう)」とされる。

 

ー 諸姉よ、尽きることのないともしび(無尽燈)と名づけられる法門がある。

それを学んで努力しなさい。それは何か。諸姉よ、一つの燈から百千の燈が点火されても、かの燈(の明るさ)が減るわけではありません。

 

それと同じく、一人の菩薩が百千の多数の人々を菩提の中に導き入れても、かの菩薩の(菩提)心の記憶は減らないし、減らないだけではなく増加するものです。

 

同様に、すべての善の法が他に対して説かれたとき、説かれるに応じて、それらの善は増大する。これが無尽燈と名づけられる法門です。ー

 

 

マルクス経済学者であった長洲氏は、「 無尽燈 」を、「自由と平等、平和と民主主義の精神」に置き換え、市民が一人一人が、その燈をつないでいくことで、権力者、資本家、支配階級に対峙しようと呼びかけたのではないのだろうか。

 

ちなみに、1983年から3期12年福岡県知事を務めた、同じ革新系の奥田八二氏は、色紙などに揮毫を求められると「一波万波」と書いた。

 

これは、安岡師や長洲氏の言葉を意識したものだと思う。 

 

 

 

 

秋の夜長、師の著書をまたじっくり読んでみたい。おすすめは、この一冊。

 

それにしても、安岡師に少しの間でもあの世からお戻りいただき、アーパーな世襲議員や権力と金しか眼中にない政治屋連中を徹底的に洗濯し、しつけ直していただきたいものだ。

 

 

 

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