何を笑うのか、誰を笑うのか / ふと想起される言葉 vol. 91

 

 

昨今、テレビは、とんでもなくつまらないメディアになった。

 

タレント、お笑い芸人、誰も彼も、身内の下世話な話や弱いものいじめばかり。

 

かつて、立川談志は松元ヒロに言った。

 

ー テレビに出ているヤツを、オレはサラリーマン芸人という。テレビにクビにならないように、ということばかり考えている。

 

おまえみたいに、庶民が言いたいことを、代わりに言ってやるのが本当の芸人だったんだ。

 

だから、おまえのことをオレは芸人という。昔はそんなやつばかっかだったよ。 ー

 

ー 笑いは弱者の最高の武器である ー

 

佐髙信は、たけしのことをこう言っている。

 

ー  お笑い芸人から映画監督へと軸足を移し、 もはや完全に芸術家気取りのビートたけしなんかも、官邸に呼ばれてのこのこ行ってしまうわけだよね。

 

たけしはもともと、改憲とか原発推進といった考え方をもつ人ではあったけれども、 これではもう毒のある政治批判なんかできるわけがない。 

 

なんのことはない、 安倍に取り込まれた。 会いに行っちゃった。( 笑) ー

 

佐髙信と松元ヒロは、太田光のことも言っている。

 

(松元)

安倍さんの主催する「桜を見る会」ですか? 並んで一緒に写真撮ったりしたという。 がっかりしたなんてもんじゃありませんよ。「今度番組に出てくださいよ」と言ったら、「いいですよ」と答えたとか言って、完全に牙を抜かれてしまっている。

骨のある人だと思っていたので、もう拍子抜けでした。

 

(佐髙)

太田、おまえもか、ってね。

社会的な発信力のある人がそうやって手なずけられて、笑いが殺されていっている。 権力者を批判したり風刺したりして笑いにする立場の人間が、権力者のところにほいほい行っては ダメだよね。もう 言いたいことが言えなくなる。笑いの自殺行為だよ。

 

 

松元ヒロはこんな人!祝!FNS大賞 KTS「テレビで会えない芸人」再録【佐高信の隠し味】」はこちら>

 

 

   ※   ※   ※   ※   ※   ※

 

 

いくら表で威勢のいいこと言ってたって、見えない所じゃ権力者におもねり、シッポ振る。『 言うだけ番長 』、やってることは何だよ。みっともないよ。

 

それも『 モリ・カケ・サクラ 』の総理大臣。

総理なんてとんでもない。議員を辞職して当然の人間だ。

 

ところで、芸能界には、福岡県出身の芸能人などが集う会がある。

いちゃもん付ける気はさらさらないが、福岡県出身のNHK元会長や麻生副総理も顔を出したなんていう。

 

そういうのは、何かやだね。

権力者に媚を売るのか。下心がいやらしい。

 

 

ところで、夏目漱石の話。

 

明治40年(1907年)、時の総理大臣 西園寺公望は、文士招待会(のちに雨声会)を催す。

 

森鴎外、幸田露伴、泉鏡花、徳田秋声、島崎藤村、国木田独歩、田山花袋などの文人たち20人が招待される。そして、漱石の元に招待状が届く。

 

漱石は、

 

” 時鳥  厠半ばに出かねたり ”

 

の句を添えて招待を断り、その後も7回にわたって開かれた西園寺の招待を断っている。

 

” ほととぎす かわやなかばにでかねたり ”

 

この句は、「 小便してるから行けないよ 」って。

 

ついでにいえば、

漱石は文部省が博士号を授与するのも断っている。

 

「 今日までただの夏目なにがしとして世を渡ってきたし、これから先もやはりただの 夏目なにがしで暮らしたい 」と言う。

 

そんな権威とか肩書きなんか要らねえぞって。

漱石は、頑固者でへんちくりんだ。しかし、反骨の気概が粋だ。

 

 

「 お笑い 」のことを真面目に考えたことはないが、

 

笑いというのは、人間の弱さ、愚かさ、あさましさ、また、社会の理不尽さに対する憤りや絶望といった感情を、形を変えて発散させるものだ。

” 笑いは弱者の最高の武器である ” と佐高は言う。

 

 

” 貧乏人が何だってんだ ”

” おいら貧乏でも、あんたらほど恥知らずじゃねーよ ”

そんな、強がりやヤセ我慢が好きだ。

 

弱者が、権力者や金持ちを「笑い」のネタしてこき下ろすのは王道だ。

しかし、弱いものイジメのネタなんて、笑いでも何でもない。

 

最後に、奇人と言われたマルセ太郎は「 思想のないお笑いは見たくない」と言った。

これもまた、なるほどと思う。

 

 

「ふと想起される言葉」はこちら>