昨今、テレビは、とんでもなくつまらないメディアになった。
タレント、お笑い芸人、誰も彼も、身内の下世話な話や弱いものいじめばかり。
かつて、立川談志は松元ヒロに言った。
ー テレビに出ているヤツを、オレはサラリーマン芸人という。テレビにクビにならないように、ということばかり考えている。
おまえみたいに、庶民が言いたいことを、代わりに言ってやるのが本当の芸人だったんだ。
だから、おまえのことをオレは芸人という。昔はそんなやつばかっかだったよ。 ー
佐髙信は、たけしのことをこう言っている。
ー お笑い芸人から映画監督へと軸足を移し、 もはや完全に芸術家気取りのビートたけしなんかも、官邸に呼ばれてのこのこ行ってしまうわけだよね。
たけしはもともと、改憲とか原発推進といった考え方をもつ人ではあったけれども、 これではもう毒のある政治批判なんかできるわけがない。
なんのことはない、 安倍に取り込まれた。 会いに行っちゃった。( 笑) ー
佐髙信と松元ヒロは、太田光のことも言っている。
(松元)
安倍さんの主催する「桜を見る会」ですか? 並んで一緒に写真撮ったりしたという。 がっかりしたなんてもんじゃありませんよ。「今度番組に出てくださいよ」と言ったら、「いいですよ」と答えたとか言って、完全に牙を抜かれてしまっている。
骨のある人だと思っていたので、もう拍子抜けでした。
(佐髙)
太田、おまえもか、ってね。
社会的な発信力のある人がそうやって手なずけられて、笑いが殺されていっている。 権力者を批判したり風刺したりして笑いにする立場の人間が、権力者のところにほいほい行っては ダメだよね。もう 言いたいことが言えなくなる。笑いの自殺行為だよ。
<「 松元ヒロはこんな人!祝!FNS大賞 KTS「テレビで会えない芸人」再録【佐高信の隠し味】」はこちら>
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いくら表で威勢のいいこと言ってたって、見えない所じゃ権力者におもねり、シッポ振る。『 言うだけ番長 』、やってることは何だよ。みっともないよ。
それも『 モリ・カケ・サクラ 』の総理大臣。
総理なんてとんでもない。議員を辞職して当然の人間だ。
ところで、芸能界には、福岡県出身の芸能人などが集う会がある。
いちゃもん付ける気はさらさらないが、福岡県出身のNHK元会長や麻生副総理も顔を出したなんていう。
そういうのは、何かやだね。
権力者に媚を売るのか。下心がいやらしい。
ところで、夏目漱石の話。
明治40年(1907年)、時の総理大臣 西園寺公望は、文士招待会(のちに雨声会)を催す。
森鴎外、幸田露伴、泉鏡花、徳田秋声、島崎藤村、国木田独歩、田山花袋などの文人たち20人が招待される。そして、漱石の元に招待状が届く。
漱石は、
” 時鳥 厠半ばに出かねたり ”
の句を添えて招待を断り、その後も7回にわたって開かれた西園寺の招待を断っている。
” ほととぎす かわやなかばにでかねたり ”
この句は、「 小便してるから行けないよ 」って。
ついでにいえば、
漱石は文部省が博士号を授与するのも断っている。
「 今日までただの夏目なにがしとして世を渡ってきたし、これから先もやはりただの 夏目なにがしで暮らしたい 」と言う。
そんな権威とか肩書きなんか要らねえぞって。
漱石は、頑固者でへんちくりんだ。しかし、反骨の気概が粋だ。
「 お笑い 」のことを真面目に考えたことはないが、
笑いというのは、人間の弱さ、愚かさ、あさましさ、また、社会の理不尽さに対する憤りや絶望といった感情を、形を変えて発散させるものだ。
” 笑いは弱者の最高の武器である ” と佐高は言う。
” 貧乏人が何だってんだ ”
” おいら貧乏でも、あんたらほど恥知らずじゃねーよ ”
そんな、強がりやヤセ我慢が好きだ。
弱者が、権力者や金持ちを「笑い」のネタしてこき下ろすのは王道だ。
しかし、弱いものイジメのネタなんて、笑いでも何でもない。
最後に、奇人と言われたマルセ太郎は「 思想のないお笑いは見たくない」と言った。
これもまた、なるほどと思う。
<「ふと想起される言葉」はこちら>
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