『 調一族 』の首塚 … / 西海道古代史の迷路

< 旧 黒木町役場 > 
< 旧 黒木町役場 > 

 

 

かつて、八女市黒木町に、林業に関する研究を行う「 福岡県林業試験場 」が置かれていた。

 

 

老朽化のため、新たな施設が整備され、平成6年、久留米市に「森林林業技術センター」として開所した。

 

 

その当時、移転に伴い閉所となった旧試験場の建物解体と跡地の再整備の仕事に関わった。

  

 

昭和14年に建設されたという試験場は、歴史を感じる建物だった。

 

試験場職員の話では、敷地内の土を少し掘れば、しばしば陶片など古代の遺物が出土したという。

 

そんな施設の一画に「 首塚 」があった。

 

祠があるわけではなく、人の頭ほどの丸い川石が、2メートルほど積み上げられた粗末な塚だった。

 

試験場の職員によれば、かつて何度かその塚を撤去しようとしたそうだが、重機を入れて作業を始めると、その度ごとに、重機が動かなくなったり、けが人が出るなどして工事を断念したという。

 

お祓いもしたそうだが、結局、 ” 触らぬ神に祟りなし ”。

そして、その首塚はそのまま残った。

 

 

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その首塚の謂われを尋ねた。

すると、「 調 (しらべ) 一族 」の首塚だという。

 

 

調氏は、筑後国に拠点を持った一族だが、古代調氏の後胤である筑後河崎氏、星野氏、黒木氏などのうち、どの一族の塚なのか、どの戦いのものかは語られなかった。

 

同族同士が敵味方となった戦いは凄惨を極め、敗者の一族・郎党の皆がクビを刎ねられたという。

 

そのクビが集められ埋められたのが、その首塚という。

そうした出来事が語り継がれた黒木の住民は、祟りを恐れて塚の周辺には近づかなかったに違いない。

 

そして、そんな所だから県が施設を整備したのではないだろうか。

 

 

数ヶ月後、建物の解体と跡地の整備が完了し、工事の施工を担当した別組織の社員とともに現地に赴いた。

 

綺麗に整地され、有刺鉄線が張られた跡地。

かつてそこに首塚があったことを知る町民は、いずれいなくなるだろう … と …

 

それから数日後、施工を担当したその社員が交通事故で亡くなったことを知った。

まだ若く、真面目そうな青年の顔が浮かんだ。

 

背中を冷たいものが流れた。

まさか、あの首塚の祟り …

 

 

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それから長い年月が過ぎたある日、仕事で黒木町を訪れた。

その夜、突然熱発し、数日間寝込んだ。

 

熱に浮かされながら思った。

道路も周辺の建物も変わっていたので気づかなかったが、訪れた地は、あの首塚があった試験場跡地だったのでは …

 

 

人の世の不条理によって流されたあまたの血と悲歎。

土は、その何もかもを吸容れた。

そしてそれを、アスファルトとコンクリートが覆っていく。

 

人は、そうした出来事を忘れてはならない。

 

 

 

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<後日談>

 

後日、福岡県林業試験業の所在地を調べてみると、福岡県八女郡黒木町今1314-1

 

地図で見てみると、

 

 ・ 八女市黒木支所

 ・ FM八女

 ・ 八女市商工会

 

が記されている。

 

当時の記憶が蘇ってくる。

あの首塚は、間違いなくこの一角に作られていた。