『 鬼伝説 』小考 vol 1 / 西海道古代史の迷路

 

周知のとおり、昨年「鬼滅の刃」が驚愕の大ヒットを記録した。

おどろおどろしい鬼たちが人を襲い、喰らう。

そして、鬼殺隊の竈門炭治郎が鬼を退治していく。

 

入念に観たわけではないので、作者の吾峠 呼世晴 氏の主題とするところは解らないが、このマンガを見た子どもたちに、おとぎ話の「桃太郎」と共通する鬼の原像が形作られていく気がする。

 

ー 鬼とは何か ー

 

とは何か、これまで様々な説が唱えられてきた。

 

大別すれば、鬼が人間の精神活動の産物であるというものと、鬼の原像として何らかの実体が存在したというものに分けられるという。 

 

文芸評論家の馬場あき子氏は、鬼を5種類に分類している。

 

 1. 民俗学上の鬼で祖霊や地霊。

 2. 山岳宗教系の鬼、山伏系の鬼、例:天狗。

 3. 仏教系の鬼、邪鬼、夜叉、羅刹。

 4. 人鬼系の鬼、盗賊や凶悪な無用者。

 5. 怨恨や憤怒によって鬼に変身の変身譚系の鬼。

 

 

この他、鬼の原像として実体が存在したと考える説としては、

 

<金工師説>

鬼の正体が金工師であるとの説がある。

金工師とは古くの鉱山採掘や金属精錬、金属製品生産など、金属に関する事業に携わっていた人達である。若尾五雄氏はこの鬼=金工師説の提唱者で、『鬼伝説の研究』でこの説をまとめたものを発表した。

 

若尾氏はこの説の中で、日本各地の鬼伝説地が同時に鉱山地でもある場合が多数あることを指摘し、また伝説中の鬼が、その話中で金工に密接に結び付いている例も少なくないことも指摘し、鬼が金工師であったのではないかとの説を唱えた。若尾氏のこの説に対しては、当時、反発や懐疑的意見もあったが、上記書が発表された後、この説に同調する論考が増えている。

 

<蝦夷説>

朝廷に抵抗した蝦夷は鬼と呼ばれていたとされる。 

蝦夷征討のために坂上田村麻呂が遠征した東北地方には、神仏の加護で鬼を退治したという伝説が多く残されている。蝦夷の首長として名前が残る大武丸は鬼であるという伝説がある。

 

<白人説>

確かに、鬼の代表格とも言える酒呑童子は、現存最古と言われる絵巻(『大江山絵巻』、南北朝時代か)の中でも、髪は茶色で、眼も明るい色をしている。赤い肌は日焼けの比喩と考えられる。また、体格も非常に大きい。 

 

江戸時代には既に、鬼が海外より日本に上陸した海賊ではないかという俗説があり、明治時代には、やはり俗説として鬼=ロシア人説があった。現代においても鬼の白人説は一部には根強く信じられている。

 

 

これらが、これまで比較的よく知られてきた説である。

 

ー 非常民と鬼 ー

 

民俗学者の柳田国男(以下、「柳田」)は民俗の担い手として「常民」という概念を持ち出している。この「常民」とは、柳田による造語である。

 

「常民」は、次のような分類に従って説明される。

 

村落の構成員は、「上の者」「下の者」そしてこれらの中間にあたる「常民」の3 つの階層に区分できる。

 

「上の者」にあたるのが、「いゝ階級に属する所謂名がある家で、その土地の草分けとか又は村のオモダチ(重立)と云はれる者、或はまたオホヤ(大家)・オヤカタ(親方)などゝ呼ばれてゐる階級」であり、江戸時代の半ばまで村の中心勢力をなしていた階級である。

 

一方、「下の者」にあたるのが、「普通の農民でなく、昔から諸職とか諸道などゝいつて、一括せられてゐた者」であり、具体的には「鍛冶屋、桶屋など、これらは何れも暫くづつ村に住んでは、また他に移って行く漂泊者」である。

 

そして、この二つ階層の中間にあたるのが、村の住民の大部分を占めていた「極く普通の百姓」であり、これが「常民」である。

 

すなわち、「常民」とは、日本人の大半を占めていたとされる水田稲作に従事する農業民のことであり、中世末から近世にかけて平地部に定着し、江戸時代には日本人の人口の約7割を占めていたとされる人々のことを指す。

 

定着農業民である「常民」に対して、前述の「下の者」に当たる非農業民、特殊職業人のことを民俗学では非常民、漂泊者(漂泊民)と呼ぶことがある。

 

そして、この非常民が鬼に繋がっていったとも考えられる。

 

 

ー 小松和彦と若尾五郎の研究

 

一方で、民俗学で定義する非常民に関して、文化人類学でも異人論として位置づける研究がなされてきた。

 

文化人類学の立場から民俗学に接近した小松和彦氏(以下、「小松」)は、定住民である常民にとって、彼らの世界の外部に住み、時折接触する非常民は、異人視される立場にあるとの見解に立った上で、異人である非農業民の存在が妖怪にまつわる民話を創り出す一つの大きな基盤になっていると指摘している。

 

その上で、小松は、妖怪の中でも河童に関する民話には、土木事業に実際に関わった河原者などの非農業民の姿が暗示されていることを示唆している。

 

この河童の民話の背後に実在した土木技術者の姿があるという着想をいち早く提示したのは、産婦人科の開業医でありながら、非農業的世界の民俗研究に励んだ若尾五雄(以下、「若尾」)である。

 

 

若尾の研究対象は、河童といった妖怪をはじめ、橋姫、人柱、えびす、犬飼、妙見など、非農業世界と深くかかわりのあるものであり、此世と異界を媒介する境界領域の存在が多い。

 

こうした非農業世界から歴史を見るところに若尾の民俗研究の特徴がある。

 

そしてその民俗研究のもう一つの特徴は、「それぞれの伝承の底流にはいろいろの思いやそれぞれの背景を持つ、つまり史上の事実の一部が織り込まれて伝えられて来ているのが伝説だと思わねばなりません」と若尾が語るように、民話が語り継がれる背後には、それを裏付ける地理的・歴史的な事実が存在すると思考するところにある。

 

若尾は、徹底したフィールドワークを行い、地域に残る伝承の背後にある地理的・歴史的事実を追い求めたのである。こうした若尾の研究は、河童が土木技術者を示唆していたという研究に見られるように、地域に残る伝承や伝説を、土木という非農業世界と結び付けて職能集団や技術の歴史を推測する視点にあふれている。 

 

ー 若尾五郎の鬼 ー

 

若尾の鬼研究は、若尾の妻の実家が、鬼伝説の残る佐佐福神社(鳥取県日野郡日南町)であったことに端を発している。佐佐福神社には鬼退治の伝説が残っており、その伝説を簡単に述べると、孝霊天皇が日野郡にやってきて、人民を悩ませていた鬼を退治したというものである。

 

若尾は、なぜこの地域に鬼伝説が残っているのかを探索していく中で、この地域が一大砂鉄地帯であるという事実に着目する。

 

また、この日野郡は、現在の広島県と岡山県の県境にあり、桃太郎の鬼退治で有名な吉備国に接している。

 

桃太郎の鬼退治とは、宝物を盗んだ悪人の鬼を、桃太郎が退治して宝物を取り返しに行くという話であるが、若尾は、ここで、鬼は宝物を奪ったのではなく、鬼の住むところにこそ、金、銀、、珠玉などが眠っているのではないかと考える。

 

そして、吉備津神社の宮司に話を聞き、やはり予想通り、吉備国が金工地帯であるという事実にたどり着く。さらに、鬼退治伝説の一つである丹波国大江山の酒呑童子伝説にも着目し、現地に行って調査し、大江山が一大鉱山地帯であることを突き止めている。

 

その他にも若尾は、鬼が語られる神社仏閣や鬼の名前がつく地名には鉱山が関係していることを例示し、鬼とは、金、銀、鉄を掘り起こす鉱山技術を持った鉱山師である可能性を指摘している。こうした若尾の鬼研究は、単なる民話構造研究ではなく、歴史学的にも実証される鉱山技術者集団の実相に迫るものである。

 

若尾は、鬼と鉱山師の関係を発見していく過程で、鬼は隠であり、隠は地中の鉱物であると言ったり、吉備とは厳(きび)のことで堅い鉱物のことだと言ったり、何事も字義と鉱物という物質で理解するあまり鉱物を巡る人間関係、すなわち「差別」などの問題については考察が及んでいないと民俗学者の森栗茂一(以下、「森栗」。)は、指摘する。

 

森栗は、前述の佐佐福神社の鬼退治伝説から民俗的歴史を類推しており、そこには、孝霊天皇の大和政権の統一事業という歴史事実があり、山中で高い鉱山技術を持っていた地方文化への、中央の朝廷権力の侵略があったことを示唆している。

 

つまり、桃太郎の金銀財宝を持って帰る話も、稲作文化を中心とした大和朝廷の圏域拡大における鉱山・山地・地方文化の収奪であるというのが森栗の見解である。

 

そして、「古代のこの侵略という事実は負ける側を鬼として差別して伝承してきたのであった。伝承の視点はいつも権力側にあり、稲作にあり、中央にあった」と述べている。

 

こうした侵略という形で鬼退治が実際に起こった地域は一部であり、鬼退治伝説の残る地域すべてにおいて、鬼すなわち鉱山師を追い払うようなことがあったと必ずしも言えない。

 

しかし、以上述べた諸事実を踏まえるなら、若尾が指摘したように鬼退治伝説の残る地域の多くに鉱山地帯があったことは事実であると同時に、土を掘り起こしていた鉱山師が異人視され、鬼という妖怪に見立てられていたことが推察される。

 

鉱山という異界に住む非常民を異人と捉え、時に畏怖し、時に差別する精神文化が日本において存在していたことを、こうした鬼伝説は暗示していることが考えられるのである。

 

 

ー 求菩提の鬼考 ー

 

 

豊前の求菩提山及びその周辺には、鬼にまつわる話が多い。

 

近世文書『求菩提山雑記』に、こう記されている。

 

ー 豊前国求菩提山ハ神霊奇瑞を示し給ふ山にして往古ハ絶頂常に奇雲たなひき夜毎金光起こりて衆峰を照す遠近星を仰き見て奇異の思ひを成幾春秋なるとをしらす是偏に神明降臨の徳を顕し玉ふ故地なり … ー

 

求菩提資料館館長の恒遠俊輔氏は、こうした記述から、『 求菩提山が円錐形で、その各所に今なお火山岩の一種である安山岩質の溶岩の露頭が見られることとを考え合わせれば、かつてこの山が活火山であり、その噴火や噴煙の現象に対して古人は畏怖の念を抱き、そこから信仰が出発したであろうことが想像される。』と述べている。
 

 

その『求菩提山雑記』は、猛覚魔卜仙なる人物について記している。

彼こそが、求菩提山信仰史に最初に登場する主人公である。

 

卜仙は、継体天皇即位20年(526)、この嶽の金光をたずねて山頂によじ登り、すこぶる「神明降霊の瑞相」であるがゆえに、「顕国霊神の祠」を建てた。そして、同文書では、これがこの嶽に神霊が鎮座したはじめであるとしている。

  

そして、深山威奴岳(犬ヶ岳)に凶暴な鬼=山霊がいて国家に多大な害を及ぼしていたので、卜仙がこれを降伏させ、威奴岳の絶頂にひとつの甕を置き、八鬼を駆って、その霊を甕に封じ、奇災を払って、民を安らかしめたと記されている。

 

鬼の頭は築上町の鬼ヶ州に埋め、胴は犬ヶ岳に、手足は明神の浜にそれぞれ埋めたという。それにしても、あまりに惨い殺し方だ。

 

今日なお求菩提山八合目に建つ鬼神社は、卜仙によって退治された鬼の霊を祀ったものだとされている。

 

卜仙によって征伐された鬼とは果たして何か。

 

征伐の対象として否定的に扱いながら、一方でその霊を祀り、いわば肯定的に処遇される鬼の正体とは …  

 

思うに、卜占は、犬ヶ岳や求菩提山に鉱山としての価値を発見したのではないか。

それゆえ、常民たちと結託し、はかりごとをもって皆殺しにしたのではないか。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        

 

常民たちは、やましさがあったからこそ鬼たちを祀り、手を合わせたのだろう。

 

 

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こんなことを考えると、横溝正史『 八つ墓村 』が思い浮かぶ。

 

戦国時代のとある村に、尼子氏の家臣だった8人の落武者たちが財宝とともに落ち延びてくる。

 

最初は歓迎していた村人たちだったが、財宝と褒賞に目がくらみ、武者8人を皆殺しにしてしまう。そこに見られるのは、様々な村落共同体の負の一面。

 

武者大将は死に際に「この村を呪ってやる ! 末代までも祟ってやる !」と呪詛の言葉を残す。

 

常民にとって、畏怖の対象であったものたち。

敗れしもの、体制の外にいるものは、常の排除の対象となる。

 

そして、卜占こそが、悪習を持つ閉鎖的なムラ社会の常民たちを煽りそそのかし、山人を殺した人鬼系の鬼ではないのか …

 

なんの科もなく ” 鬼 ”とされ、葬られものたち … 哀憐の情募るばかりだ。

 

 

 

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