三菱リージョナルジェットとグラマン艦上戦闘機 F6Fヘルキャット

< 三菱 MRJ  出典:三菱重工HP >      
< 三菱 MRJ  出典:三菱重工HP >      

 

 

2008年3月、三菱重工業は、国産ジェット旅客機三菱リージョナルジェット(MRJ)の事業化を発表した。

 

MRJは、70~80席のMRJ70と、86~96席のMRJ90の2機種でファミリーを構成する地域航空用の小型双発ジェット旅客機だ。

 

国産の旅客機開発は、戦後初で唯一の国産旅客機YS-11以来、ほぼ50年ぶりの事業化であり、長く国民が待望したオールジャパンによる国産旅客機として高い注目と期待を集めた。

 

計画では、09年に製造と組み立てを開始し、11年に初飛行、そして13年に型式証明を取得して、航空会社への納入を開始するとなっていた。

 

しかし、当初2013年の納入目標は、度重なる仕様変更や三菱スペースジェットへの名称変更を経て、今もなお型式証明の取得ができていない。

 

そうした中の今年5月、スペースジェット(旧MRJ)開発予算を、前年度の1,400億円から600億円程度に削減し、子会社の三菱航空機の人員を半減することが発表された。

 

 

< 零戦二二型      出典:ウィキペディア >  
< 零戦二二型  出典:ウィキペディア >  

 

 

MRJの事業化が発表された時、少なからず期待を持った人間の一人だ。

 

三菱重工業は、川崎重工業とIHIと共に三大重工業の一社であり、ロケットや鉄道といった輸送機器を手掛け、複雑で巨大なシステムの全体を設計・製造する十分なノウハウを有している。

 

そしてかつて、かの零式艦上戦闘機を開発・製造した企業でもある。

 

発表当時、座席数が50~100席程度、航続距離2000~3000キロメートルの小型ジェット旅客機、いわゆるリージョナルジェットの機体は、ブラジルのエンブラエル社、カナダのボンバルディア・エアロスペース社の2社が製造したものが大半を占めていた。

 

ものづくりニッポンの技術力をもってすれば、最先端のリージョナルジェットが作られることに疑いを持たなかった。

 

  

< グラマンF6F  出典:ウィキペディア >  
< グラマンF6F 出典:ウィキペディア >  

 

 

ただ、一つ何か引っかかることもあった。

 

それは使用するエンジンが、アメリカのプラット&ホイットニー(P&W)が新たに開発する、ギアード・ターボファンを装備することだった。

 

太平洋戦争において、零戦を最も多く撃墜したのがグラマンF6Fヘルキャット。

 

そのグラマンが搭載していたのが、プラット&ホイットニーの空冷 星型18気筒エンジン R-2800だ。

 

” 国産初のジェット旅客機 ” と言いつつ、エンジンはアメリカ製。

それも、あのプラット&ホイットニー か  …

 

 

 

 

二次世界大戦時、陸軍の指示により、川崎航空機が、ドイツ・ダイムラーベンツのDB601のライセンス権を購入し生産したエンジンを搭載したのが「三式戦闘機  飛燕」で、当時の日本唯一の量産型液冷戦闘機である。

 

しかし、基礎工業力の低かった当時の日本にとって、高い技術力が求められる液冷エンジンは、生産・整備ともに上手くいかず、常に故障に悩まされた戦闘機だった。

 

 

スペースジェット(旧MRJ)で感じられるのは、サプライヤーとしての実績がいかに豊富でも、それだけで航空機を一から設計・製作できるわけではないということ。 

 

ブラジルのエンブラエルやカナダのボンバルディア・エアロスペースといった航空機メーカーと、三菱重工業を隔てる様々な壁は、想像以上に高かったと言うことなのだろう。

 

 

今回のコロナ禍で、世界の航空機需要は大きく減少した。

スペースジェット(旧MRJ)が、世界の空を飛ぶ日が訪れることはおそらくない。

 

 

 

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