大牟田と無田、そしてクマ / ふと想起される言葉 vol. 29

 

地名に興味を持つようになったのは、九重の山々に登るようになってからだ。

 

梅木 秀徳 氏の著書『九重山博物誌』には、九重山群の山名の由来とともに、飯田高原や久住高原の地名についての記述がある。

 

九重町野田には、「千町無田」の地名がある。

 

九重山博物誌には、

 

ー 「ムタ」 じめじめした低湿地、泥田を指す。

 

飯田高原の千町無田は、朝日長者伝説で長者の滅亡後、荒廃して田が無くなったと語られるが、もともとは鳴子川と音無川によって生じた湿地帯だった。普通は牟田の当て字が多い。ーと書かれている。

 

 

 

無田、牟田か …

 

そういえば、県内には大牟田が、三潴郡大木町には八町牟田の地名もあるが …

昔、そんなことを思った。

 

有明海に面して、市西部には干拓地や埋立地が広がる大牟田市だが、

かつては、広大な湿地帯だったことから、今の地名となったことがうかがえる。

今回の大災害には、そうした大牟田の歴史が垣間見える。

 

もうひとつ、今回の大雨で氾濫した球磨川。

 

クマには、隈、曲、阿など文字が使われるが、曲がって入り込んだ所、また、奥まった所、片隅の意味があることから、曲がりくねった川の名前、あるいは川の曲部の地名になったと言われる。

 

ちなみに、福岡県の嘉麻市大隈町、旧嘉穂町は、中心部を貫くように遠賀川が流れるが、

昔はその川を大隈川と呼んでいて、度々、氾濫したという。

 

さらに言うと、想夫恋本社の所在地、日田市の中心を流れる三隈川も、今回の豪雨で氾濫している。

 

地名は、単なる符号ではなく、その地域の地勢や歴史を示すものが少なくない。

そして、多くのものを秘めている。大切に考えていきたい。

 

 

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