今日7月9日は、鴎外忌。
夏目漱石や正岡子規などとともに、明治の文豪の一人として教えられる森鴎外の忌日。
周知のとおり、鴎外は、小説「舞姫」をはじめ、「高瀬舟」「阿部一族」「山椒太夫」など多くの作品を残している。
鴎外には、もう一つの顔がある。
本名は森 林太郎、東京大学医学部卒業の陸軍軍医・官僚という顔だ。
中学・高校の頃、鴎外の小説を読んではいるが、陸軍軍医であったことには関心はなかった。
災害用の非常食から、海外のミリ飯、自衛隊の携行食、そして海軍カレーなどの帝国海軍の料理へと興味の対象が広がっていく中で、明治期における陸海軍の「脚気論争」の登場人物として森 林太郎を知ることになる。
脚気論争は、ややこしい話なので、かなり大雑把に述べる。
明治の時代、ビタミン欠乏症を原因とする脚気は、原因不明の国民病であった。
海軍軍医総監の高木兼寬は「食事・栄養説」を唱え、「兵士にパンを、麦飯を」と主張した。
これに対し、細菌説を採る陸軍は、これを批判。
陸軍軍医の森は、麦飯と脚気改善の相関関係が証明されない、科学的根拠がないとして否定的な態度をとり、陸軍は戦地に白米を送り続けた。
結果として、日露戦争では、陸軍で約25万人の脚気患者が発生し、約2万7千人が死亡する事態となった。
脚気に冒され、歩行もままならなくなった兵士が、病死よりも戦死を望み、足を引きずりながら突撃したという話には胸が痛む。
一方、海軍の高木は、タンパク質不足が原因だと仮定し、1884年(明治17年)、半ば強引に白米を麦飯に切り替え、1883年、23.1パーセントだった脚気の発症率を、2年で1パーセント未満に激減させる。
結果、日露戦争における海軍の脚気による死者は87人だった。
ビタミン発見以前に、脚気の原因が食事にあるとして対策を講じ、大きな功績をあげた高木は、「ビタミンの父」とも呼ばれるようになる。
また、それまでの日本の食文化ではなじみの薄かったカレーライスを、『脚気予防策』として海軍の兵食に取り入れる。
のちにこれが、海軍カレーと呼ばれるようになる。
森は9歳で、すでに15歳ほどの学力を持っていたという。まぎれもない俊才である。
そして最高学府の東京大学医学部を卒業し、軍医となったエリートだ。
プライドが高く独善的で、間違っていても非は認めない。
そんな現在の官僚と、姿が重なってしまう。
森 林太郎の責任論については、様々な見解があるが、今回は割愛する。
ところで、今も緊迫した状況が続いている今回の豪雨災害。
これから先も、かつての仲間たちには過酷な日々が続くことだろう。
コンビニのおにぎり、カップラーメン、リポDばかりじゃいけません。
食こそ力の源。栄養バランスに気をつけ、難局を乗り越えてほしい。
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