すももに思う、李下不正冠と桃李成蹊 / ふと想起される言葉 vol. 28

  

 

あんまり食べない、すももを買った。

 

すももは、「李」あるいは「酢桃」と書く。

 

酢桃と言うくらいだから、酸っぱいわけで、これまで、悲しいかな、甘いすももに出会ったのは数えるほど。

 

” おいしい  食べごろ ”  なんてシールが貼ってあるし、大きくて美味しそうに見えた。

 

もし、酸っぱくて食べられなければ、ジャムにすればいい …  

 

で食べてみると、どちらも甘い。

特に、ローズは甘かった。

 

これなら、また買う気になる。

ジャムも作ってみようかな …

 

 

ところで、すもも(李)にまつわる言葉を、二つ思い出した。

 

まずは、「李下に冠を正さず」。

中学や高校で必ず習う、誰もが知っている故事成語だ。

 

 

ー 君子防未然 不處嫌疑間 瓜田不納履 李下不正冠 ー

 

 

書き下し文は、「君子は未然に防ぎ 嫌疑の間におらず 瓜田に履を納れず 李下に冠を正さず」。

 

現代語訳では、「君子たるもの、疑われるような行動は未然に防ぎ、嫌疑を受けるようなところには居ないことだ。瓜の畑では、かがんで靴を履くようなことはせず、李の木の下では、冠を直したりしないことだ。」

 

いまどき、社会のヒラルキーの上に行けば行くほど、この言葉は死語に違いない。

 

 

 

 

そしてもう一つが、「桃李成蹊(とうりせいけい)」。 

 

 

司馬遷の『史記』の「李将軍列伝 」に引用された「桃李不言 下自成蹊」、これを略した4字熟語だ。

 

書き下し文は、桃李(とうり)言(ものい)わざれども、下(した)自(おのずか)ら蹊(こみち)を成(な)す。

 

古代中国、前漢時代。「漢の飛将軍」と呼ばれた李広は、無口だが清廉な人物として人々から慕われていた。

 

泉を発見すれば部下を先に飲ませ、彼らと共に食卓につき、全員が食事を始めるまで自分の分には手をつけず、恩賞もすべて部下たちと分け合ったという。

 

 

司馬遷の言葉では、

伝に曰く、その身が正しければ命令せずとも実行され、その身が正しくなければ命令しても従われない。これは、李将軍のことを言っているようなものだ。

 

私が李将軍を見たところ、慎み深く、田舎者のようで、口は、うまく話すことができないようだった。しかし、李将軍の亡くなった日には、天下、彼を知る者も知らない者も、皆強く悲しんだ。

 

彼の、その忠実な心は、本当に士大夫に信用されていたものだった。

諺に言うには、桃やすももは何も言わないが、その下には、自然と小道ができるというのである。 

 

 

 

ところで、この「桃李不言 下自成蹊」の中の「成蹊」を学校名の由来としたのが成蹊大学だ。

 

大学のホームページには、そのことがしっかりと書かれている。

 

そして、現内閣総理大臣の母校でもある。

 

しかし、この総理、口汚くヤジを飛ばし、強弁を繰り返す。

饒舌に美辞麗句を並べ立てるが、すべからく言行不一致。

その語りは薄っぺらで、気持ちなどまるでこもっていない。

 

唯一誇れるのは、最長の在任期間と醜聞の多さだけ。

 

民は、今も昔も愚かだ。しかし、時に鋭敏でもある。

もう一度、「桃李不言 下自成蹊」を思い出されるのがよい。

 

 

 

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