朝、職場に向かう時、福岡タワー前広場からタワーを見上げる。
真東の朝日が、タワーを照らす。
よかトピア通り北側のこの道路は、正確に東西を走っている。
なので、歩く人や街路灯の影は、朝は真西に向かって落ちる。
振り返ると、タワーの真南にサザエさん通りが延び、遠くに油山のピークが見える。
福岡タワーと油山が遠く向き合っている。
そして、このあたりの建造物は、狂うことなく、東西、南北の方向に向いて建てられている。
福岡タワー前広場入り口には、よかトピアのシンボルマークが施され、左右に10体の石像が並んでいる。
同僚によれば、よかトピアに出展したインド館ものが残され、やむを得ずここに置かれたらしいが、ほんとのところは判らない…と。
ところで、遠くに見える油山には正覚寺という寺がある。
その由緒書には、
ー 正覚寺は、山号を東油山と称し、臨済宗東福寺派に属する。敏達天皇(572~585)の時、西域から来朝した帰化僧、清賀上人がこの地に居住し、白椿で千手観音像を刻み大悲閣に安置した。上人は、椿の実から製油し灯火とする法を初めて開き、油山の名もこれに依って名づけられた。寺は、油山観音の名でも世に親しまれている。ー と記されている。
福岡市とその西隣の糸島市の南側にそびえる背振山系には、6世紀にインドから渡来した清賀上人の開基したとされる寺院もしくは 製作したとされる仏像が多数あり、当初、泉福寺と号した正覚寺は、西油山の天福寺と並んで僧兵を擁して栄え、盛時には720の僧坊が立ち並んでいたとされる。
さて、福岡タワー前広場に並んでいる天部像。
天部は、仏教において天界に住む者の総称で、諸天部、天部神ともいう。
仏教流布以前の古代インド神話やバラモン教の神々が仏教に取り込まれ、護法善神となったものだ。
その10体の天部像が、タワーを背に、油山に向かって何かを迎えるかのように鎮座している。
草に覆われているので、確かめてはいないが、たぶん次の貴顕天部と武人天部だろう。
■梵天 ■帝釈天 ■吉祥天 ■弁財天 ■毘沙門天
■持国天 ■増長天 ■広目天 ■多聞天 ■韋駄天
ところで、「福岡市博物館 アーカイブズ 油山天福寺 」のページに掲載されている『博多湾を取りまく山寺』を見ると、福岡タワーから真南に油山、その南には背振山がそびえる。
そして、東から、明星寺(飯塚市)、石泉寺(篠栗町)、建正寺(須恵町)、泉福寺(油山)、天福寺(油山)、そして、これも上述の清賀上人が開創したとされる雷山千如寺(糸島市)へと、東西に線を引いたように並んでいる。
<「福岡市博物館 アーカイブズ 油山天福寺 」はこちら>
<「福岡市博物館 アーカイブズ 背振山の歴史と文化 」はこちら>
思い出されるのは、中国の風水をベースに、安倍晴明などの陰陽師によって整備され続けた京都の街だ。
日本における古代の都は、大内裏を北の中心にして真っ直ぐ南に朱雀大路が通り、その左右を右京・左京に分けて街割りされている。朱雀大路のようなサザエさん通り…
いやいや、ももち浜は、埋め立て地に造られた新しい街。
第5次福岡市基本計画、福岡市景観条例などに基づいて整備され、
今日の街並みになったわけで、特別な何かがあるはずがない。
しかしそんな当たり前の話じゃ面白くない。
よかトピアのシンボルマークだって、中国易学の「陰陽思想」の匂いがするし、
そびえるタワーは、オベリスクのようにも見える。
もしかしたら隠された何かがあるんじゃないの…? って思う方が楽しい。
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