昭和を知らない街、シーサイドももち / ふと想起される言葉 vol. 24

 

福岡タワーの近くで働くようになって二月。

 

福岡タワーは、1989年、福岡市制100周年を記念し開催された「アジア太平洋博覧会(通称:よかトピア)」のモニュメントとして建てられたものだ。

 

百道浜から中央区の地行浜にかけての博多湾が埋め立てられ、広大な博覧会会場が造成された。

日本国内からは1,056企業・団体、国外からは37か国・地域と2国際機関が出展参加し、43館(国内33館、外国10館)のパビリオンが設置された。

  

時あたかも、バブル景気真っただ中、日本が最も華やいでいた時代だ。

 

仕事で、福岡を案内する際のルートの一つに福岡タワーがあった。

志賀島のマリンワールドから20分の高速船に乗り、到着するのがマリゾン。

 

今はウェディング場となっているが、昔はレストランだった。

博多湾を眺めながら昼食を取り、福岡タワーへ。

 

何度もタワー入り口まで客を連れていったが 、私自身がタワーの展望台に上がることはなかった。 

で、思い立ってエレベーターに乗ってみた。 

 

あれから30年… か…

 

タワーマンション、高級住宅地、ペイペイドームにマークイズ福岡ももち、そして、大手IT企業が集積する。住宅に働く場、レジャー施設が近接するこれまでにないニュータウンだ。

 

鉄とコンクリート、石とガラスで出来た土のない街。

電信柱もなければ、赤ちょうちんもない。アーバンライフそのままの街だ。

 

この地を「 昭和を知らない街 」と言った人がいる。確かにそのとおりだ。

しかし、よかトピア、アジアの拠点都市を進めたのは昭和の人間の思いだ。

 

日本の自動車、家電、半導体メーカーが世界を席巻し、世界第2位の経済大国、

「ジャパン アズ ナンバーワン」と謳われ有頂天になっていた頃のこと。

しかし、その後のバブル経済崩壊。そして「失われた30年」が続くことになる。

 

この街は、平成の失われた30年の中に生まれ育った「昭和人念望の街」に思える。

 

 

 

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