焼きそばとおふくろの味

 

 

「おふくろの味」という言葉がある。


明確な定義はないが、 一般的には、 幼年期や少年期を通じて自身の家庭の料理によって形成された味覚と、その料理を言うとされている。


高級な料理ではなく、肉じゃが、味噌汁や漬け物など人によって思い浮かべるものも様々である。


私は、この「おふくろの味」と「焼きそば」の間に大きな類似性があると思っている。

 

<「想夫恋の焼きそばは高いvol.1」はこちら>

 

「焼きそば」の普及と味覚の形成

 

さて、焼きそばの歴史については、文献的な史料があるわけではないので、正確なことはわからない。その発祥は、富士宮という人もいれば、想夫恋という人もいる。

 

一般に、昭和30年代の後半、駄菓子屋やたこ焼きやなどで「焼きそば」を提供する店が登場し、子供のおやつや青少年の副食として評判となり、各地に広まっていく。

 

やがて昭和40年代になると、焼きそばの専門店も多数生まれ、また、縁日やお祭りでも焼きそばを売る露店が登場する。そして、次第に家庭でも食べられるようになっていったと言われる。

 

特別に難しい技術を必要とせず、麺、豚肉、キャベツなどの少品種の具材、そしてウスターソースと化学調味料だけでそれなりのものが出来るからである。

 

食べ盛りの時期、部活の帰りなどに小遣いで食べられる。多くの子供達は、この焼きそばに慣れ親しんでいく。

 

ここに、「おふくろの味」と同様の味覚形成がなされるのである。

 

本物の焼きそばとの遭遇

  

 

やがてこの子供達が成長し、ある時「想夫恋焼」を食べる。


先ず、その値段に驚く。今まで自分が払っていた金額の二倍あるいは三倍である。
そして食べてみると、「美味しく感じられない」。製麺会社などが麺とセットで提供する単純で画一的なソース味の焼きそばによる味覚形成によって、「旨み」や「深み」などを感じ取る味覚が発達していなかったことが考えられる。

 

ところで、味覚・嗅覚を重要な要素とする職業に「ソムリエ」がある。

このソムリエは、都会の出身者より、郡部いわゆる「田舎」の出身者が多いと言われている。それは、旬の野菜やキノコなどを豊富に食べる機会に恵まれ、また、四季のうつろいの中での感じられる風や土の匂いを感じることで、味覚・嗅覚を発達させるからと言われている。

 

今日、「食育」と言う言葉があるが、幼・少年期、どのような食生活をおくってきたかは、味覚などを形成するうえで極めて重要なファクターである。

 

 

「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」

- 知らない事は、知らないと自覚すること、これが本当の知るということである。 -

 

 

さて、例えば「想夫恋」が創業したのは、昭和32年である。

 

この時点で既に、現在の味とスタイルが確立された一品料理だったのである。
その後の時代となって、全国そこかしこに、雨後の筍のように「焼きそば」を提供する店が生まれたのである。


解りやすく言えば、「想夫恋」という本物の焼きそばが先ず生まれ、その後、安く提供される一般的な焼きそばが数多く生まれたということである。 他の例を挙げれば、「寿司屋」と「回転寿司」の関係も似かよっている。

 

この安い食材を用いて簡単に作られた焼きそばばかりを食して成長し、「焼きそば」に対する習慣的な味覚と価格感が形成された人々が、「想夫恋」を、「美味しくない」「高い」と思った。そして、「焼きそばにしては」「焼きそばごとき」と言うのである。

 

ある種、気の毒なことである。「好き」「嫌い」は個人の嗜好の問題である。

よって、その事を言っているのではなく、「…にしては」「…ごとき」の表現が、自身の食生活の貧弱さ、食に関しての経験と知識の乏しさ、そしてまだあるとするならば、知性・品性の無さを表明してることに気づいていないからである。