今日、想夫恋風の焼きそばを提供する店が、少なからず存在する。
福岡県の久留米市『 焼そば餃子 中央亭 』、筑紫野市『 焼そば専門店 阿羅漢 』など、元は想夫恋であった店が、フランチャイズ契約を続けず、別名の店として看板を揚げたケース。
また、東京『 両面焼きそば あぺたいと 』や広島『 焦がし焼きそば 嬉一 』のように、想夫恋の社員が独立して店を構えたケース。
そして、「 日田やきそば研究会 」の店のように、盗作・模倣によって、想夫恋風の焼きそばを提供しているケースなどである。
ここでは、その中から『 両面焼きそば あぺたいと 』と『 三隈(みくま)飯店 』を取り上げる。
『 両面焼きそばあぺたいと 』は、東京、埼玉で4店舗を展開している。
女性の大食いタレントが取り上げたこともあって、近年、知られるようになってきた店。
アペタイトのホームページには、次のように記載されている。
「当店は22年前、現在の地、高島平で開店しましたが当時は焼きそばを店で食べるという習慣が東京ではなかったせいか、来店数も少なく経営も、大変でした。(つぶれる一歩手前でした)
ただ日田の想夫恋で修行した社長は、想夫恋のように「美味しい」焼きそばを作れば必ずお客様が来てくれると信じてやってきました。
そして、とうとう22年の歳月がかかりましたがお客様に味が認められるようになりました。」
ネット上では、そのネーミングや店主の言動などを取り上げ、批判する向きもあるが、何はともあれ、孤立無援の地で、孤軍奮闘の末に新たな市場を開拓し、今日の成功を収めたことは、評価されるべきであろう。
そして、自らの店の出自を隠さないところも好感が持てる。
『 三隈(みくま)飯店 』は、日田市内で「日田やきそば」と称する想夫恋の模倣品を売るラーメン店。
店主は、
日田の地域おこしを標榜し活動をする「ラーメン・焼きそばで日田を元気にする研究会」、通称「日田やきそば研究会」の代表でもある。
この店のホームページには、次のとおり記載されている。
「三隈飯店は、先代が昭和45年に創業した店です。
昭和51年に現店舗に移転してからもずっと、伝統の味を守り続け、ご来店の皆様に、満足頂けるものをと努力しております。
休みの時、オープン前には必ず釣りに行っております、日田の観光、日田近辺の渓流や鮎の情報など是非お聞きください。
御来店心より お待ち申し上げてお居ります。 二代目店主 」
さて、
ここに書かれている『 先代 』というのは現店主の実母で、三隈飯店を開く前は、想夫恋本店(現三本松店)で焼きそばを作っていた想夫恋の元従業員である。
- それに至ったいきさつには、想夫恋の創業者、角 安親 氏の人情味にあふれた人柄を偲ばせるエピソードがあるのだが、ここでは割愛する。 -
その想夫恋の従業員が独立し、想夫恋にほど近い場所に店を構えた。
その時、先代は四十前、現店主は十三、四才。
ちなみに、想夫恋の創業者 角 安親 氏が脳血栓で倒れたのが昭和44年6月、
それ以降、そこかしこに想夫恋のパチモンを売るラーメン店が現れ、現在の「日田やきそば研究会」へとつながっていく。
三隈飯店の創業昭和45年もまた、その頃である。
そして、全て想夫恋で身につけた技術で、想夫恋に似せた焼きそばやラーメンを想夫恋より安く売ることで、客を集めたと言われている。
先ず考えるべきは、そもそも想夫恋の近傍に、元従業員が店を構えること自体、『 競業避止義務 』違反ではないのか。
二代目の現店主は、その実母から店と焼きそばを受け継いだ。
この一家が想夫恋から受けた恩恵は計り知れないものがあったことは、関係者でなくとも容易に計り知ることができるであろう。
それは、心ある人間なら、 ” 想夫恋に足を向けて寝られない ” 、そのように感じるほどのものであったに違いない。
しかし、このホーページでは、そのようなことには微塵も触れられてはいない。
また、メディアなどに対し、想夫恋から受けた恩を知らぬはずがない現店主が、そのことに言及したのを見聞きしたこともない。
そして、ホームページ中の「伝統の味」、この言葉にこの店の心性が如実に現れている。
何が「伝統の味」なのか? 想夫恋の従業員であった実母が真似た想夫恋風のタレの味のことをいっているのだろうか?
伝統という言葉は、高邁な思念や規範性を内包している。
親子二代にわたり、同じ地域内で、大恩ある店の模倣品を臆面もなく売り続けていることに、「伝統」という言葉が用いられてよいはずがない。ここまでくると、図々しいとか、厚顔などと言う次元ではない。
<(一社)日田市観光協会 おいでひた.com「三隈飯店」はこちら >
ところで、想夫恋のまがい物を売る集団「日田やきそば研究会」の代表に、この三隈飯店の現店主が収まっているのは何故なのであろうか。
それは、その目的とするところはともかく、この研究会の構成店が想夫恋の盗作・模倣の店である中で、三隈飯店の創業者である『先代』が想夫恋の従業員だったからにほかならない。
もとより他の模倣店は、きちんとした「焼き」の技術など持つはずもない。
三隈飯店の現店主は、想夫恋の従業員であった先代から手ほどきを受けた。だから、正統な技術を身につけている、そう周辺は考え、現店主もそうした意識を抱いているのであろう。しかしそのようなものは、心得違いの自尊心でしかない。
想夫恋では、焼きそばを焼く技術のみならず、衛生管理、接客などを、厳しい教育によって総合的に習得させる。しかし、三隈飯店の現店主は、母親から焼きそばの手ほどきを受けたと言うだけであって、当然ながら、正統などと呼べるものではない。
三隈飯店の現店主は、外部に対しては、自らの店の出自を伏せ、まるで「想夫恋」とは縁もゆかりもないように装う。
それは、自分の店の『やきそば』は、自分らの創意などど語ってきたことが、ウソと知れるからであろう。何とか隠蔽したい不都合な事実なのである。
一方、想夫恋の盗作・模倣の集団内では、想夫恋に連なる者として威勢を張り、あげく、「日田やきそば研究会」の頭目となって想夫恋のまがい物をばらまかせ、「日田焼きそば想夫恋」の名までも貶める。恩を仇で返すとは、まさにこのこと。
そこに、人や世間に対する感謝、あるいは誠実さといった心性を見いだすことはできない。
唯、欲にまみれた背徳の心性だけが表出している様に思える。
そしてまた、三代目へと受け継がれるのであろうか、その不実なる " 伝統 " 。
真田幸村の言葉を思い出す。 ー 恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか ー
2012年末、悪質な脱税を行ったとして重加算税を追徴されたタレントの板東英二氏。
坂東氏には、経済的制裁はもとより、芸能界追放も取りざたされるなど、その取り扱いは、極めて厳しい。所得隠し・脱税は、泥棒であり罪である。事実なら、信賞必罰、当然であろう。
これを見るにつけ、日田にあって、重加算税を課せられるような悪質な脱税者と手を取り合う無定見な人々、真実も見極めずただ褒めそやす、無思想で自分の言葉を持たない地元新聞やメディア、業界人の愚昧を思わずにはいられない。
最後に、
- 日田は、ラーメンとやきそばが寄り添う町 - などとのたまう方々に申し上げる。
- 日田は、鉄面皮と三太郎が寄り添う町 - これが実相なのである。
<日田の焼きそばと想夫恋 「想夫恋の焼きそば」は、「日田やきそば」にあらず。>
<日田やきそばの真実vol.1 何故、「焼きそば」ではないのか >
<日田やきそばの真実vol.2 「B-1グランプリ in 北九州」イミテーションの粗製濫造 >
<日田やきそばの真実vol.3 想夫恋との価格差200円の内実 >
<日田やきそばの真実Vol.4 「日田やきそば研究会」と久留米ラーメン >
<日田やきそばの真実vol.6 赤猫「日田焼そば 萬天楼」>
<日田やきそばの真実vol.7 大たわけの日田市観光協会 >
< 「想夫恋」と「辛子明太」を比べる「日田やきそば」賛同者の愚>
<「「日田やきそば」、日々裏返すのは『正』と『義』。- 想夫恋 角 弘起 社長との面談所感 Vol.3 -」はこちら>