個人タクシーを利用することは希である。可能な限り、法人タクシーを使う。
なぜかと言えば、個人の車輌からは、生活が感じられることが多く、それが好きではないからである。
車内が、その事業者の嗜好によって様々に飾られていたり、自身の快適さを求めて色々と手が加えられていたり、生活臭を感じることがしばしばである。だから、法人タクシーを選ぶのである。
想夫恋店の中にも、同様の空気を感じる店舗がある。
想夫恋各店は、直営が中心と聞く。
だとすれば、店長は社員。採用後、研修などを経て、一定の経験を積み、やがて店長として店を任される。
各店舗間、あるいは想夫恋本部との異動もあるのであろうが、一店舗を長く任されている店長もおられるようである。
このような店舗の中には、快適な雰囲気づくりのために、装飾などを施している店があるが、中には、店長自身の趣味の表出としか思えない店もある。
特に古い店長の中には、店が自身の職場であることの意識を失い、自らの生活の場と混同しているのではないかと感じる店がある。公私のけじめを忘れているのであろう。
当人はわかっていないのであろうが、客は店に一歩踏み込めば、敏感にそのことを感じるのである。
食に関する多くのエッセイを執筆され、九州ラーメン研究の第一人者でもある原 達郎氏の「九州ラーメン物語」の中に、次の記載がある。
< これからのラーメン店は >
- 最近は随分と企業化された店が増えてきたとはいえ、ラーメン屋さんはまだまだ夫婦二人といった店が多い。そんな店で気になるのは、生活の臭いが店内に持ち込まれていること。ある店では畳敷の席に枕が置いてあったり、隅の方に衣服が脱いであったり、夏など下着一枚の親父さんも結構見受けられたりする。食べ物商売は清潔第一、店の雰囲気も味の内なのだ。職住同居の個人商売とはいえども、家庭と職分の立て分けは商売の第一歩だと思うのだが。ー
全く同感である。
想夫恋の店舗を、全て食べて回った訳ではないので断定的なことは言えないが、一定の営業年数を重ねた店舗には、出来のよい100点、120点の想夫恋焼を食べさせてくれる店がある。
しかし中には、50点、60点、つまり合格点に到底及ばない店もある。特に古くからの店には、当たり外れが多いと思う。
一方、新しい店舗は、味の水準にバラツキが少ないと感じる。感覚的には、70点から85点といったところ。
- 当然この点数は、味の好みを排除し、客観的にな視点に立っての評価点のつもりであるが -
古くからの店に、より強く感じられる技術の劣化。
その最も大きな原因は、何より気持ち、意識の低下にあるのではないかと感じる。
以前、「想夫恋に地域の味があることの是非」で述べたが、想夫恋焼の基本、店舗運営の基本など、店長となった時の初心を忘れているからではないだろうか。
ここで飯塚店の店長のことを述べよう。
飯塚店を訪れるのは、いつも開店前の10時50分頃。住まいから離れているので、早く着いてしまうことが多い。
開店時間前に店に入れてもらうと、店長は、にこやかに世間話。
そのうちに、前掛けをキュッと締め直し、ポンとお腹をたたいて、帽子をかぶる。
そして、「さあ!!」と気合いを入れて鉄板に向う顔からは、それまでのにこやかさが消え、料理人、鉄人の厳しい顔になる。
この気持ちの切り替え。ここにいつも、もてなしの心と料理人としての気概を感じるのである。
先日訪れたある想夫恋店では、社員がカウンター席で携帯電話。何たることであろうか。
飯塚店店長の、爪の垢を煎じて飲ませたいくらいである。